CAC60年の歩み
CACは1966年8月8日、株式会社コンピュータ アプリケーションズとして設立されました。日本初の独立系ソフトウェア専門会社の誕生でした。以来、一貫して「お客様にとって最適なシステム」を追求しながら、新しい取り組みに挑戦してきました。時代によって用いる技術が変わっても、その姿勢に揺るぎはありません。失敗と成功を重ねて今日に至る、60年にわたる歩みをご紹介します。
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1950年代~65年
創業前史~日本のソフトウェア産業の夜明け前~
創業者 大久保茂 第二次世界大戦後の在日米軍立川基地では、IBM社初の量産機であるIBM 650が国内企業などに先駆けて導入されるなど最先端の電算処理が行われていました。
ここで人事スタッフとして理数系の学生の採用や統計機械を使った管理訓練の仕事に従事し、その縁で日本の計算センターのはしりとも言える日本ビジネスの仕事を手伝うようになり、そこから分離する形で1959年に株式会社日本ビジネスコンサルタント(NBC)が設立されると同社に移って電子計算機課長、同部長、東京営業所長を歴任した人物がいました。
この人物こそ、後にCACグループの創業者となり、黎明期から日本のソフトウェア産業を牽引した大久保茂(故人)です。
この時期、日本ではソフトウェアはまだハードウェアの付属物と考えられており、ソフトウェア専業の会社は存在していませんでした。しかし彼は、数度にわたる渡米を経験した後、「ソフトウェアはハードウェアの従属物ではなく、ユーザーサイドの発想で作られるべき知的生産物である」「本当にニーズに合ったソフトウェアを作れば必ずビジネスになる」と考え、独立と新会社設立への想いを抱くようになります。
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1966年
日本初の独立系ソフトウェア専門会社の誕生
大久保がソフトウェア専門の新会社の構想を描いて設立の準備に動き始めると、NBCから新会社への移籍希望者が相次いで現れました。その背景にはハードウェアメーカーの影響力が強まってきたことへの反発があったと言われています。加えて見逃せないのがビジョナリーとしての大久保の資質でした。彼に接した多くの人々が彼に共鳴し、惹きつけられました。
そして、1966年8月8日、株式会社コンピュータ アプリケーションズ(略称:CAC)が設立されます。日本で最初の独立系ソフトウェア専門会社の誕生でした。新会社への移籍希望者は続出しましたが、当時の資金力では、いきなり大所帯で創業するのは困難でした。業務開始時の人員は34名と記録されていますが、いずれ合流するとの約束を交わし、他社で働きつつ時節を待ったメンバーも多くいたと伝わります。
なお、1966年8月8日という日付は登記上のもので、 営業開始は10月1日でした。設立準備を進めていた大久保が、国産コンピュータ・メーカー3社と銀行の共同出資による国策ソフトウェア会社(日本ソフトウェア株式会社)設立の動きを知り、「2番目になるのは口惜しい」と登記を急いだのでした。CACは日本初の独立系ソフトウェア専門会社と言われていますが、この経緯から、独立系と限定せずとも日本初のソフトウェア専門会社だと言って間違いではないでしょう。
ただし、1966年当時はアメリカですらソフトウェア専門会社は市場の主役ではなかった時代であり、大久保らの旗上げに対して周囲からは無謀だという声が圧倒的に多かったと伝わります。そしてCACの前途には、予想どおり苦闘の連続が待ちかまえることになりました。
会社設立時の社員集合写真 -
1966年
小学館による資金支援
竣工直前の小学館ビル CACは設立時、仮事務所を東京都千代田区の集英社ビルと同港区の全国たばこセンタービルに置きました。設立準備時に入居を予定したビルが建設中だったため仮事務所でのスタートとなり、ビルの完成によって1967年1月10日、事務所を移転しました。その移転先が、長く本社所在地となった東京都千代田区一ツ橋の小学館ビル(2013年に閉館し、建替え)です。
名称からわかるとおり同ビルは大手出版社である小学館の本拠地です。創業者の大久保がNBC在籍時に小学館にコンピュータを売り込みにいった縁で同社オーナーの知己を得ていた経緯があり、ビルを紹介いただくとともにCAC設立時の資本金1,800万円のうち800万円を出資いただいたのでした。小学館は当時から出版と情報産業の融合を構想していたと伝わっています。
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1966年
慣れないセールスに立往生~受注第1号は労務統計プログラム作り~
創業初期の開発風景 「J001」というのは、CACの受注第1号を意味する記念碑的プロジェクト番号です。当時は、今のように顧客コードを使わず、すべてJを頭に付けた通し番号でプロジェクトを扱っていました。この名誉ある番号を与えられたプロジェクトは、林野弘済会(当時)から受注した「労務統計」9本のプログラム作りでした。一般的な委託計算であり、技術的な難易度は高くなかったようですが、とにもかくにもこれがコンピュータ アプリケーションズ最初の受注であり、創業後まもなくのことでした。
当時、大部分の社員は、市場のニーズがわからないまま、身に付けていた個々人の技術をもとにして「技術報告書」を書き、その結果、「オンラインシステム」の提案から細かな技術計算まで10冊ほどのプロポーザルを作成しました。これを携えてセールスを始めたものの、顧客はソフトウェア会社などというものに何をどんな形で頼んだらいいのかわからず、注文を取りにいった方も技術的な話はまとめるが、どう注文を取り付けたらよいのか立往生する有様だったと伝わります。
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1966年
創業初期は制御系システムの開発が主力
創業から8年間のプロセスコントロール分野のプロジェクト件数 制御系システムの受託開発は会社の営業開始とほぼ同時に始まり、主力事業となりました。1966年10月にプロセスオートメーション用コンピュータHOC500による焼結工程システムのアプリケーションプログラム開発を受注したのを皮切りに、同年中にMELDAP6000による大阪浄水場データロガーの一部、1967年に入ってY516による川鉄千葉の転炉制御システム、TOSBAC-7000による火力発電所データロガーと続き、同年末には、石化工場のエチレン、BTX(ベンゼン、トルエン、キシレン)、ボイラーの3システム同時受注に成功しています。
これはソフトウェア開発の全工程を請負った大型プロセス制御システムとして初めてのものでした。この時期は、プラントで計算機制御ブームが訪れ、 計測・制御機器メーカーの要員不足も加わり、リアルタイム技術を持ったソフトウェア会社には恰好の事業機会となりました。
一方でビジネスアプリケーションと言える案件は創業初期にはほぼ受注がない状態で、引き合いがあったのは委託計算業務に類するものでした。長く取引が続くことになる山之内製薬(当時)からの最初の仕事も給与計算業務でした。そうした中、1969年8月に日本興業銀行(当時)との最初の取引が始まり、金融アプリケーション開発事業の成長のきっかけとなりました。
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1967年
創業翌年に経営危機~OS開発で赤字プロジェクト~
創業メンバーの意気は盛んでしたが、周囲が危惧したとおり経営は苦しく、売上高こそ初年度の12百万円から102百万円、256百万円、371百万円(いずれもCAC単体)と年々拡大していったものの、赤字決算が続きました。特に、設立翌年には資本金18百万円の会社が76百万円の赤字を計上し、早くも危機に陥りました。
その一因となったのが、初めての大型案件であるOS開発のプロジェクト(J008)でした。コンピュータ・メーカーの下請けはしない、ユーザー指向でアプリケーション開発に徹する、という創業時の理念はあったものの、数年間はメーカーの仕事も糧とせざるを得なかったのが実情で、このOS開発もメーカーからの受託でした。創業間もない会社への委託案件としては異例のことであり、担当者は大いに張り切りましたが、あまりに張り切りすぎてアイデアの湧くまま仕事の枠を拡げていったために工数が膨れ上がり、採算が相当に悪化しました。このプロジェクトはCACのOS開発のはしりであるとともに、赤字プロジェクトのはしりともなりました。ただし、受注額の12百万円がそもそも安過ぎたというのが後の評価でもあり、仕様書がまったくない中、猛勉強しながら、できるだけハイレベルのソフトを作る気構えで取り組んだメンバーの奮闘は称えられるべきでしょう。このときの開発メンバーは、いずれも中核人材として後のCACを支えました。
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1967年
創業期のグループ展開
CACはソフトウェア専門会社として起業したものの、当初はソフトウェア専業では経営が成り立たず、コンピュータ用品の販売、穿孔されたカードが記憶媒体になっている「パンチカードシステム」業務の受託などで糊口をしのいだこともありました。しかし、創業翌年の1967年6月、グループ会社としてコンピュータ・サービス株式会社を設立してこれらの業務を移管し、CACはソフトウェア開発に専念しました。
その後、コンピュータ・サービスがパンチ受託から計算機運用受託に重点を移す中、同社からパンチ業務を受け継ぐ形でシステムサービス株式会社が1968年に設立されました。同社は2年後に日本システムサービス株式会社に社名変更し、翌年、トータル・ファシリティ・マネジメント・サービス会社へと業態変更します。
一方、コンピュータ・サービスには後に小学館が資本参加して株式会社ジックに改組、小学館の計算業務の一括運営を始めました。この会社は後にCACの数理計画部門を統合して株式会社数理計画となり、今も小学館・集英社グループにおけるITソリューションの企画・提案、開発、保守・運用のトータルサービスに特化した企業として活躍しています。
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1970年
ソフトウェア産業の台頭~ソフトウェア産業振興協会の設立~
ソフト協主催のソフトウェアコンベンション 1960年代、ソフトウェア開発は大半がコンピュータ・メーカー中心に進められていましたが、より効率的なソフトウェア開発・供給のため、社会的な機能分化が見られるようになり、1969年には二十数社がソフトウェア会社として活動していました。
こうした中、産業としての発展に大きなインパクトを与えたのはIBMの動きでした。同社は、独占禁止法訴訟を背景に1969年6月、ソフトウェアとハードウェアを分離して販売する「アンバンドリング(価格分離)」政策を発表しました。これが、ソフトウェア自身が価値を持つ独自の商品と見做される端緒となり、ソフトウェア開発を主要事業とする企業群にフォローの風を吹かせました。
しかし当時のソフトウェア業界は「技術力を有する人材の確保」「ソフトウェアの価値体系の確立」「資金調達」「アメリカのようなソフトウェア商品の開発・販売への展開」などの課題を抱えていたため、CACなど8社が中心となって1970年1月、任意団体のソフトウェア産業振興協議会を発足させました。それが発展解消する形で1970年6月、社団法人ソフトウェア産業振興協会(ソフト協)が設立されます。ソフト協は1984年に日本情報センター協会(センター協)と統合する形で社団法人情報サービス産業協会(JISA)へと発展。大久保は両協会を通じて、副会長、常任理事、理事などを歴任しました。
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1971年
日本で最初のアウトソーシング事業会社の発足
1970年前後、米国ではトータルFM(ファシリティマネジメント)と呼ばれるサービスが生まれていました。コンピュータ設備管理およびシステム運用を総合して受託するもので、情報処理先進国アメリカの動向を常にウォッチしていたCACもこのサービスに着目していました。
一方で、CACの創業初期からの顧客であった山之内製薬(当時)にはその頃、システムの開発も運用も専門会社に任せたいというニーズがありました。そこで、CACのグループ会社であった日本システムサービス株式会社(SSK)を母体にし、山之内製薬の出資も得て、1971年3月、トータル・ファシリティマネジメント・サービスの会社を立ち上げました。このとき、アウトソーシング事業という言葉はまだありませんでしたが、実質的に日本で最初のアウトソーシング・サービス専門会社の誕生であり、チャレンジングな取り組みでした。
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1971年
日本市場の揺籃期にソフトウェア・プロダクツ事業に進出
MARK Ⅳユーザー会に参加(シカゴ) 1971年6月、CACは米国Informatics Inc. の社長の訪問を受けて代理店契約を依頼されます。その後、社員4人を2ヵ月ほど欧米の視察に送り出すと、その旅程の最後にInformaticsと契約を締結して(1971年10月)、同社製品の国内での販売を開始しました。ソフトウェア・プロダクツ事業への進出です。最初の製品はアプリケーション開発システム「MARK IV」でした。この製品は当時はファイル・マネジメント・システムと呼ばれていましたが、初期の第四世代言語と言えるものです。CACが契約に踏み切った理由は、海外で実績がある、将来のために勉強したい、常に新しいものに目を向けたい、というものでした。
以降、CACは英国Management Systems & Programming、米国University Computing Companyなど複数の米欧プロダクツ・ベンダーと提携して数々のプロダクツを日本で発売し、1980年代初頭には全売上高の8~10%ほどがプロダクツ販売となりました。
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1973年
ファシリティマネジメント・サービスの拡充を図り、グループ会社を新たに設立
CACは1970年代、ファシリティマネジメント・サービスの拡充に注力しており、1973年10月には同分野のグループ会社として株式会社システム ユティリティ(略称:SUC)を設立しました。グループ内に同じような業態の会社が並存する形となりましたが、SUC設立は某電機メーカーのオペレーションを引き受けるための対応でした。SUCは、1976年にオフライン・プリンタを導入してプリントサービスを開始し、同年COM(Computer Output Microfilming)サービスも事業化、データのアウトプットに関連するサービスに特色を発揮していきます。1987年に光ディスクによるファイリング・サービスを開始し、1993年にはCD-ROMコンテンツ制作を始めるなど常に新しい情報メディアの利用に取り組みました。同社のコンテンツ制作事業はその後、CACのマルチメディア事業に引き継がれていきました。
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1975年
海外へのアプローチ~初受注は台湾企業から~
1975年のCAC社内報より 1975年5月、CACは中東、東欧向けにソフトウェア開発からシステム運用までの総合情報処理サービスを提供すべく、各国に提案活動を実施しました。そして1976年5月、台湾の代表的総合電機メーカーである大同公司(当時の社員数16,000人)から、同公司の販売管理システム、生産管理システム、購買管理システムの開発に関するコンサルティングとシステム設計を受注。これが海外からの最初の本格的な受注となりました。1975年の秋、同公司が自社システムの改善を意図して米国に派遣した調査団にCACのプロジェクト企画部長が同行したのが受注のきっかけとなりました。
1976年
プラント輸出に伴うプロセスコントロールシステムの輸出で中東、東欧、東アジアへ
SOFTECHS Vol.11, No.1より 台湾企業からの初受注の後も、CACは海外プロジェクトにアプローチしました。ここでいう海外プロジェクトとは、納入先が外国であり、ユーザーの主体も外国人であるというものです。
1970年代半ば以降に日本からのプラント輸出が盛んになると、プロセス制御のためのコンピュータシステムも輸出されるようになったため、CACは中東、アフリカ、東欧、東アジアなどで石油、石油化学、鉄鋼関連のいくつものプロジェクトを受注しました。
ソフトウェア開発自体はほぼ国内で行われましたが、フィジビリティスタディ、現地調整や引き渡し、システムの運用と保守、現地スタッフの教育などのため、多くのCAC社員が数ヵ月から数年にわたり現地に赴任しました。1981年以降になると金融の国際化が始まり、銀行の海外支店や現地法人向けのニーズが発生しました。これが後のCACアメリカ、CACヨーロッパの設立に繋がっていくことになります。
1976年
コンピュータ専用ビル「CAC FMセンター」開設~ファシリティマネジメント業務の基盤~
CAC FMセンター 1976年5月、CACはソフトウェアの開発を含めた本格的なファシリティマネジメント業務の基盤として、株式会社小学館との共同企画によるコンピュータ専用ビル「CAC FMセンター(地上8階地下2階建)」を東京都文京区後楽に開設しました。
CACグループではすでにSSKがファシリティマネジメント・サービスを提供していましたが、本格的なファシリティマネジメント・サービスに取り組むべく、専用ビルの運営に乗り出しました。①電算機の収容に必要な電源、空調、消火設備などを完備し、電算機さえ持ち込めば各種設備は完備している、②ユーザーは自社で電算機関係の専門技術者集団を抱える必要がない、③電算機が一つのビルに集中するのでハードウェアの相互利用が可能で、ソフトウェアの共通化も期待できる、という施設でした。このビルは、隣接して建設された新館、別館とともに飯田橋事業所として長きにわたりCACの主要拠点となりました。
1977年
IP(知的財産)の蓄積~開発・運用標準、ライブラリ、技術レポート誌など~
SOFTECHS創刊号表紙 1977年7月、CACはプロジェクト成果物での開発予実績データなどを系統的・組織的に収集・記録し、類似システムの開発に際して有効活用するため、ライブラリ「CEIL(CAC Engineering Information Library)」を整備。また、過去の開発プロジェクトから優れたプログラム(共通モジュールなど)を抽出し、各プロジェクトでの有効利用による生産性向上を図るため「CIU(CAC Internal Utility)」を整備しました。
CACは、工数提供ではなく専門知識・ノウハウによる貢献を経営の基本に置いてきたため、創業時から実績やノウハウの体系化に注力してきました。創業の翌年に資料室を設置し、CEILやCIU等のIP(知的財産)を組織的に蓄積。1974年9月には技術レポート誌「SOFTECHS」を創刊しました。1975年にはCACシステム開発標準がほぼ完成し、1984年には機械化と標準化に主眼を置いた品質保証活動「TOSQA(Total Operation for Software Quality Assurance)」を開始しました。
ソフトウェア開発における知識集約の取り組みは、CASEツールの応用研究などを経て自社製の開発プラットフォームAZAREAへと繋がっていきます。一方、システム運用ではカナダのSHL社から導入した分散型システム運用のメソドロジーをCAC-IPへと発展させ、2014年にはITILに準拠した新CAC運用標準CSITSに刷新、現在は自社IPをベースにしたマネージドサービスの提供へと進化させています。
1978年
CAC TAIWANを設立~日本のソフトウェアハウスとして初の海外資本進出~
1978年のCAC社内報より 1978年5月31日、CACは台湾のコンピュータ輸入業者である精業股份有限公司(略称:SYSTEX)との間で、システムコンサルティング、ソフトウェアの開発・販売、ファシリティ・マネジメント・サービスを行う合弁会社の設立について調印しました。
CAC TAIWAN(聚業電脳股价有限公司)は同年9月1日に発足し、資本金は日本円で16百万円、CACの出資比率は45%でした。台湾での事業が軌道に乗れば東南アジア諸国にも進出する構想でした。日本のソフトウェアハウスの初の海外資本進出としてメディアにも注目され、発足後の1年間で5プロジェクト、6システムのアプリケーション開発を遂行するなど一定の成果を上げていましたが、情勢の変化などから、後に撤退することとなりました。
1980年
アプリケーション・プロダクツの開発・販売事業の展開
自社開発のパソコン用簡易ソフト「OA-1」 海外製晶の輸入を皮切りにプロダクツ販売事業を展開していたCACは、1980年代に入るとユーザー企業との共同開発やユーザー企業が開発したシステムの製品化に乗り出します。
1980年9月発売の「SOMPO-MATE」は安田火災(当時)と共同開発したもので、損保代理店の事務効率化を図るものでした。1981年1月にはホテル事業者と共同開発した「ホテル・旅館予約管理システム」を発売。さらに花王と1982年4月にパソコン用ソフトの販売代理店契約を結び、同社開発の「定期券購入システム」「エコノミー切符(回数券)管理システム」などを発売しました。
この代理店契約はパソコンの本格普及に向け、ソフトの流通整備が必要だとの考えによるもので、パソコン利用で産業界の最先端にある花王との協業を行ったものでした。また、パソコン向けには、画面に表示されるメニューを選択するだけでプログラムを自動作成できる簡易ソフト「OA-1」を自社開発して1982年4月に発売。同年10月には、そうしたパソコン用ソフトのショールームとして新宿NSビル5階に「CAC OAセンター」を開設しました。
1982年
ソフトウェア開発の機械化に着手~SDSSの整備~
1985年の本社ターミナルルーム CACは1982年1月、ソフトウェア開発の品質と生産性の向上を目的としたプロジェクトを立ち上げました。その実現手段として自社設備による機械化を行うこととし、SDSS(Software Development Support System)の整備に着手。同年夏にミニコンピュータのHP3000をパイロットシステムとして導入しました。
その成果検証を経て、1984年春までにIBM4300、DEC VAX-11、J STARなどを導入し、SDSSを増強しました。
SDSSのソフトウェアには自社開発ツールも多くあり、IBM機用のツール群であるACTUS、J STARをユーザー・インタフェースとしVAX-11/780をホストとする文書情報処理システムのSTAR☆DUST、ソフトウェア波及分析システムのPLASMAなどが活用されました。
1984年
AI(エキスパートシステムと自然言語処理)の研究と実用化
PLASMA 1980年代、AIは第二次ブームを迎えます。その立役者はエキスパートシステムでした。CACによるAIへの本格的な取り組みも1984年8月、ソフトウェア開発支援への利用を狙いエキスパートシステムの研究に着手したときに始まります。1986年6月には保守支援の「ソフトウェア波及分析支援エキスパートシステム」を実用化。
1989年8月、このシステムを「PLASMA」として製品化しました。このプロダクトは、プログラムソースやJCLなどから現行システムに関する知識ベースを自動で構築して、保守時の修正による影響の事前予測を可能とし、バグの発見・診断もサポートできるものでした。CACはこの時期、AIの普及にも取り組み、1986年4月のAI協会立ち上げも推進しました。
一方でその頃、技術研究部門では自然言語処理への取組みが進んでおり、1988年には日本語文書の索引作成・校正支援システムを開発しました。その延長線上で1991年、ファジィ推論による重要語評価のメカニズムを利用して日本語文章の抜粋を自動で行うシステムを開発。この取組みはWeb全文検索エンジン、自然言語データの類似度検索システムの開発へと続き、やがてブログなど日時情報を持つテキストデータを対象にリアルタイムに話題を計測する「kizasi search engine」の開発と事業化(2006年)に繋がりました。
1984年
大型アプリケーション・ソフトウェアの流通への取り組み
CACユーザー向けPR誌のプロダクツ紹介コーナー CACは1980年代中頃から、ユーザー企業から受託して開発した大型アプリケーション・ソフトウェアをプロダクツとして流通させる取り組みを始めました。MARK Ⅳのユーザー団体「日本アイ・ビー・リーグ」を母体に1984年7月に設立したCACユーザー会は、ユーザー企業がアプリケーションを相互融通させる場づくりを主要な目的としていました。
1985年には、日産自動車の特許管理システム、オンライン検索システム、三菱信託銀行の国際業務システム、リコークレジット(現 リコーリース)のリース業務管理システムを相次いで発売、いずれも2~3年かけて開発した大型のアプリケーションでした。山之内製薬と共同開発した安全性試験システムもこうしたプロダクツのひとつです。いずれも完全な既製品ではなく、購入ユーザーの要望に応じてカスタマイズする、半分受託開発、半分プロダクトという流通方式を採用しており、このビジネスモデルはその後も継続していきました。
1985年
情報資源管理(IRM)とデータ中心アプローチ(DOA)への取り組み
情報資源管理ハンドブック 1980年代中頃、企業活動で使用される情報を経営資源と捉え適切に管理・統制しようという情報資源管理(IRM:Information Resource Management)の理論と、その実現のための分析・設計手法であるデータ中心アプローチ(DOA:Data Oriented Approach)への関心が高まりました。
そこでCACは、IRMとDOAに関心を持つ有志に呼びかけてIRM研究会を組織化して1985年2月に第1回を開催し、以後、事務局として活動を支えました。1991年12月には、IRM研究会メンバー執筆の『情報資源管理ハンドブック』をCACの設立25周年事業として企画し、小学館から発行しました。また、信託銀行の年金給付システムの開発などでDOAを実践するとともに、DOA支援システム「DOABUILDER」をキリンビールと共同開発して発売(1994年9月)するなど、この分野の主要プレーヤーの1社として活動しました。
1986年
システムコンサルティング、システムインテグレーションの拡充
1985年11月、CACはシステムコンサルティング業務を開始、1986年4月には専門部署を設置し、調査・分析、システム化計画立案などを本格的に事業化しました。システムインテグレーション(SI)が日本で注目され始めたのは1987年頃。それ以前にもCACでは上流フェーズから請負受託するSI的な実績を重ねていましたが、コンサルティング機能の確立によって分析・計画から受託する体制が整い、SIへのシフトが加速しました。また、SSKでもシステム運用に関するコンサルティングとも言える「テクニカルSEサービス」を1987年に開始しました。
1987年
ビジネスアプリケーションへの特化
1973年頃のCACには、コンパイラ、OS等を作成するベイシック・ソフトウェア部、プラント制御・交通管制のシステムを構築するプロセス・コントロール部、金融、製造・販売、流通・サービス、人事・経理等のシステムを開発する経営情報部がほぼ同じ規模で存在していましたが、1970年代中頃の金融業界は第2次オンラインシステム構築の只中にあったため、CACでは全体の受注に占める金融業務の割合が年々増加していきました。1980年代中頃になると、第3次オンラインシステム構築に各行が取り組み、その要望に応える中で結果的にビジネスアプリケーション、とりわけ金融系の仕事の比率が高まり、創業期には主力事業であった制御系システム開発は1990年代初めにはほぼ姿を消すこことなりました。
1989年
CACアメリカ、CACヨーロッパの設立
CACアメリカ、CACヨーロッパの外観 1980年代は、製造業の海外現地生産の拡大、金融の自由化などによって日本企業の国際化が大きく進展し、企業情報システムのグローバル化が急速に進みました。
こうした状況を受けてCACは、1989年にCACアメリカ、1990年にCACヨーロッパを、それぞれ設立しています。日本のソフトウェアハウスとして初の海外資本進出(1978年9月)となったCAC TAIWANは所期の目的を果たせずに撤退しましたが、この両社は設立以来継続して、主に日本企業の現地法人向けにサービスを提供。CACグループのグローバル展開において現在も重要な役割を果たしています。
1990年
オープンシステム化、ダウンサイジングへの対応
CACがUNIXワークステーションを導入したのは1987年。1989年にはUNIXによるアプリケーション・システムのSIを受託。1990年にはPC-LANベースのSIを手掛け始めました。以降、SIにおける技術シフトを進め、1993年4月にはデスクトップ・サービス部を設置してPC-LANによるデスクトップシステムの構築およびサポートの「デスクトップ・ソリューションサービス」を提供開始しました。また、SSKは1992年にオープンシステム部を新設して技術強化を図り、1994年3月にはCAC出身者が設立しパソコンソフトの開発や情報システム利用者のサポート事業を展開していた片貝システム研究所の全株式を取得して4月に吸収合併することによりオープンシステム事業を強化しました。
1991年
金融向けアプリケーション・プロダクツのラインナップ拡充
「外国為替システム」「公社債システム」 CACは特定ユーザー向けに開発した大型アプリケーション・ソフトウェアをプロダクツとして流通させることに1980年代中頃から取り組んでいましたが、1990年代に入ると金融向けのプロダクツを相次いで発売しました。新規開発に比べて費用・期間を削減でき、稼働実績により品質も担保されたプロダクツへの関心が高まったことが背景にありました。
大和銀行(当時)向けに開発し、公社債発行に伴う受託業務と公社債の元利金支払業務をサポートする「公社債システム」、三和銀行(当時)の第三次オンライン・外国為替システムを地銀向けにプロダクツ化した「外国為替システム」が代表的なものです(いずれも1991年11月に発売)。その後も、「外国証券システム」「外貨預金システム」「外貨貸付システム」を相次いで発売、この3つは「外国為替システム」と合わせて導入すると総合的な国際業務システムを実現できました。他にもUNIXで稼働する「金利スワップ・システム」「金積立口座管理システム」なども発売しました。
1993年
バブル崩壊でシステム開発需要が急減し、赤字に転落
1980年代の後半に金融機関の第3次オンライン化が一段落すると、金融機関向けの売上比率が大きくなっていたCACの業績は頭打ちとなります。さらに1990年代初頭に日本経済のバブルが崩壊するとシステム開発需要が急減して業界内に業績悪化企業が続出、CACも1993年度から2期連続の赤字に陥りました。苦しい時代でしたが、この間もCACはオープンシステム、分散型システムへの対応を進めるなどして、回復する需要を捉えて成長軌道に回帰しました。
1994年
グループ3社合併で新生CAC誕生~構築から運用まで一貫サービスの実現へ~
グループ3社合併説明会の模様 1994年7月、株式会社コンピュータ アプリケーションズ、日本システムサービス株式会社、株式会社システムユティリティのグループ3社が合併し、新たに株式会社シーエーシー(CAC)が発足。その目的は、情報システムの複合化・高度化が進む中、より総合的なサービスを求める顧客ニーズに対応すること、情報技術の革新と多様化への対応を加速することにありました。
新生CACは”One Stop Service”を標榜し、構築から運用までの一貫サービスを提供する体制を整えていきました。
1996年
分散型システムの総合的運用管理サービス事業の立ち上げ
NSMセンター(東京都中央区新川)
イベントでの展示パネル 顧客企業でダウンサイジングが進展すると、それらのトータルな運用管理サービスへのニーズが高まりました。全社規模のネットワークインフラを構築し、クライアント/サーバー型の業務システムを利用する企業では、全社に分散するITインフラ(サーバー、ネットワーク、クライアントなど)の監視・管理、アプリケーションの運用、多数のユーザーへのサポート、障害対応など、メインフレームとは質の異なる機能が必要となったからです。
そこでCACは、1996年9月、クライアント/サーバー・システムのアウトソーシングではトップレベルにあったカナダのSHL社からメソドロジーを導入し、分散型システムの総合的運用管理を行うNSM(Networked Systems Management)サービス事業に着手。。その後、各種の運用ツールの導入・構築を進めて1998年5月にNSMセンターを開設しました。
これによりNSMサービスを本格的に立ち上げ、システム運用事業の中心をメインフレームから分散型システムへとシフトしていきました。
1999年
株式公開によりパブリックカンパニーへ
バブル崩壊時の苦境を乗り越えて業績を回復させたCACは、1999年7月15日、日本証券業協会の店頭登録銘柄として株式を公開しました。パブリックカンパニーとして、顧客や提携先企業からより大きな信頼を得ることが主な狙いでした。業績が堅調に推移したこともあり、翌2000年10月には東証一部上場を果たしました。
2000年10月 東証一部上場 2000年
ユーザー系システム会社のグループ化~M&Aでアウトソーシング事業を拡大~
東洋ゴム工業との共同記者会見 2000年3月、CACはリクルートと神戸製鋼所の合弁会社だったアークシステムを子会社化しました。その後、2002年3月にユアサ商事の子会社の湯浅ナレッジインダストリ(現 ユアサシステムソリューションズ)、2003年1月に東洋ゴム工業の子会社のオルビス、2003年12月にマルハの子会社のマルハシステムズ(現 マルハニチロソリューションズ)を次々とグループ化しました。当時、CACはアウトソーシング事業の拡大を志向していましたが、大型アウトソーシングの受注には時間を要することから、情報子会社のM&Aという手法を選択したものです(その後、オルビスはCACと合併、マルハニチロソリューションズはマルハニチロが再子会社化)。
2000年
人事BPOサービスの開始~ITと業務機能を併せた業務受託サービスに進出~
CACは、2000年10月に人事BPOサービスの提供を開始しました。長年の取引関係にある顧客からの、コアビジネスに人的資源を集中させたいという要望に応えてのことでした。CACは長らく、システムの構築・運用が主たる事業でしたが、ITと業務機能を併せた業務受託サービスに踏み出したのです。研究・習熟の期間を経て2002年から本格的なビジネス展開を始めました。顧客企業の人事担当者が日々の人事・給与の事務処理から解放され、人事制度改革や戦略性の高い人材開発に専念できることが評価され、20年以上にわたって着実に利用企業を増やしています。当初は、オーダーメイド型のフルアウトソーシングのみの提供でしたが、現在は、人事給与BPaaS「WorkSync」、人事給与BPOサービス、人事パッケージマネージドサービスから構成される「CHRs」としてサービス展開しています。
2002年
製薬R&D支援サービスの展開
展示会での「PRASMA」出展の様子 CACは創業まもなくから製薬業の顧客との取引が始まりました。そうした経緯から徐々に製薬R&D固有のノウハウを獲得し、2000年以降は外部からの人材招聘も進めて専門化をさらに進めました。2002年8月には新薬研究開発の総合支援サービス「PRASMA」の提供を開始し、以降は同ブランドのもとでサービスラインナップを拡充、M&Aも実施して製薬R&D分野を事業の柱のひとつに成長させました。
その後、臨床開発の分野などは分社化と売却によりCACグループから離れましたが、創薬・非臨床、安全性情報管理など製薬企業のR&D領域をカバーするソリューションを引き続き提供するとともに、GxP規制に基づくCSV支援など専門性の高いサービスを提供しています。
2006年
kizasiテクノロジーの事業化~クチコミ解析でトレンドを可視化~
kizasi.jp CACは長年の自然言語処理研究をもとに、ブログなど日時情報を持つテキストデータを対象にリアルタイムに話題を計測する、時系列共起パターン解析エンジン「kizasi search engine」を開発、この技術を活用して、世の中で使われる言葉とその使われ方の変化を可視化してマーケティングなどに活かす事業を展開しました。
2005年10月、ブログエントリを分析してキーワードの盛り上がり度ランキングやジャンルにカテゴリ分けした出現ランキングを見ることができるkizasi.jpを開設しました。kizasi.jpのランキングデータは、NHKの情報番組「つながるテレビ@ヒューマン」に提供してブログの話題で今週を振り返る「きざし↑」コーナーをサポートするなど、テレビやWebサイトのコンテンツ創りにも活用されました。2006年には商用の「ブログクチコミサーチ」をリリースし、2007年1月、これらの事業をスピンオフさせて株式会社きざしカンパニーを設立しました(同社は2019年に事業終了)。
2009年
グローバルアウトソーシングサービスへの展開
日系グローバル企業のビジネスが海外での比重を高めるにつれ、ワールドワイドでのオペレーションの最適化/効率化を図るため、多国籍に展開するグローバルIT企業にシステムを任せる動きが強まりました。2000年代のCACグループが単独でこうしたニーズに応えるのは難しかったため、2009年4月にiGATE Corporationと資本・業務提携するなど海外企業とのアライアンスやM&Aを通じてケイパビリティの拡充に努めました。狙った成果に至らず10年ほどの試行錯誤期間がありましたが、2019年のCognizant社とのパートナーシップを活かし、グローバルITサービス提供体制の構築を実現しました。
2013年
年金管理パッケージサービス「Micmari」の開発~企業年金管理のノウハウを注ぎ込む~
Micmariロゴマーク 2013年8月、CACは独自の年金管理パッケージサービス「Micmari(みくまり)」の開発に着手しました。企業年金の分野でCACは豊富な業務ノウハウを有し、日本の主要信託銀行とマスタートラスト向けに多くの開発実績があります。Micmariはこのノウハウを注ぎ込んだシステムです。
プロダクトとしての販売よりもクラウド上のサービスとしての利用に主眼を置いていましたが、信託銀行や年金基金などとニーズをすり合わせていく中でサービス利用の拡大は難しいと判断し、各顧客の年金管理システム開発のための自社IPとしての活用にシフトしました。
2014年
持株会社体制への移行
CACは2014年4月1日を分割期日として会社分割を行い、持株会社体制へ移行しました。既存法人の株式会社シーエーシー(旧CAC)は商号を株式会社CAC Holdingsに変更するとともに純粋持株会社となり、会社分割により新設された株式会社シーエーシー(現CAC、当社)がシステムの構築・運用サービスなどすべての事業を承継した中核事業会社となって、現在に至ります。
2016年
感情認識AI、画像認識への取り組み
2016年7月7日付プレスリリースより抜粋 2016年4月、CACはAI&ロボティクスビジネス部を設置し、AI、IoTなどの研究を開始しました。その頃、世界では第三次AIブームが始まっており、ブームの牽引役はディープラーニング技術でした。
CACは2016年7月、米国Affectiva社と代理店契約を締結し、同社の感情認識AIであるAffdexを活用したサービスの開発に着手しました。Affdexにもディープラーニングの技術が使われています。2018年、研究部隊はR&D部門として独立し、HCTech(Human Centered Technology)というコンセプトを掲げてAI研究に注力、感情認識AIに加えて、画像認識技術を基盤にした顔認識、姿勢推定・動作推定、物体検出や自然言語処理(NLP)を活用したテキストデータの自動解析などに応用を拡げ、様々なソリューション開発を進めています。
2016年
ブロックチェーンのエンタープライズ適用への挑戦
『イチBizアワード』の「みちびき賞」を受賞 2016年4月、CACはブロックチェーン技術への取り組みを開始し、専門部署を設置してエンタープライズ・ブロックチェーンシステムの本番向け開発と実運用に取り組んでいます。
2018年にブロックチェーン技術を利用したスマートコントラクト保険の実証実験を実施し、2021年には準天頂衛星システムの「みちびきを利用した実証事業公募」に採択され、「みちびき」位置情報とブロックチェーン技術を活用した配達員保険システムの実証実験を実施しました。2020年4月に運用が開始され、エンタープライズ向けブロックチェーン「Corda」初の国内商用システムとなったSBIグループの外国為替コンファメーションシステムの開発に協力したのもCACです。「Corda」についてはこうした技術力と実績が評価され、2024年9月、公式開発パートナー認定における唯一のプレミアパートナーに認定されました。
2021年
「プロダクト&サービス事業」を主力とする企業への転換に踏み出す
2021年12月、CACグループは「テクノロジーとアイデアで、社会にポジティブなインパクトを与え続ける企業グループへ」というビジョン(CAC Vision 2030)を策定。その達成への道筋としてCACは、産業や社会の課題を先回りして解決するために自らが創り出したデジタルプロダクトとサービスを提供する「プロダクト&サービス事業」を主力とする企業への転換を掲げました。
CACはカスタムソフトウェア開発の分野だけではなく、ソフトウェアプロダクト流通においても日本市場のパイオニアです。しかし、日本では自社独自の業務仕様に精緻に適合するソフトウェアを求める企業が多く、結果としてCACでは、個別受託により提供するITサービスが主力事業となっていきました。常に顧客にとって最適なシステムを追求する姿勢を評価いただき、各業種で日本を代表する企業とプライムコントラクタとして永年にわたって取引があるものの、ITがビジネスや社会を支えるだけでなくビジネスや社会そのものがデジタル化する時代にあって、社会のニーズに応え続けるにはビジネスモデルの転換が必要ではないか、そのように考えて導き出した方針でした。この方針に沿ってCACは、M&Aも含めて自社のプロダクト&サービスの拡充に取り組んでいます。
2022年
マネージドサービスの確立へ
CACは2022年度を初年度とする中期経営計画2022-2025において「マネージドサービスの確立」を重要な取組みに位置付けました。CACは長年にわたりシステム運用管理サービスを提供してきましたが、その基本形態は顧客ごとのITインフラ環境を適切に維持・運営するオーダーメイドのサービスでした。それに対して、必要なリソースはCAC内に構築・保持し、それを各顧客がシェアして利用するマネージドサービスを確立する方針を打ち出したのです。
その第一弾として2023年2月、CACはITインフラ運用を包括的に担う「マネージド デジタルワークプレース サービス(マネージドDWS)」の提供を開始しました。その後、アプリケーション環境全般の運営を担う「マネージド アプリケーション オペレーション サービス(マネージドAOS)」を開始し、さらに機能ごとのサービスメニューを追加するなど、顧客の選択肢を広げるサービスラインナップを整備しています。
2025年
生成AIでシステム開発を革新する「AI×SI Transformation」の開始
CACは、生成AI技術の飛躍的進化を踏まえ、生成AIでシステム開発を革新する「AI×SI Transformation」推進計画を策定し、2025年から本格的な取り組みを始めました。この構想では、最新のAI技術を戦略的にソフトウェア開発に統合し、「AIネイティブな開発プロセス」の実現を目指しています。2027年までに「全社AI駆動開発環境」を整備し、最新のLLM(大規模言語モデル)を活用した自然言語ベース開発(Agentic Coding)手法なども取入れ、要件定義から設計、コーディング、テストまでAI活用のメリットを最大限に活かしていく計画となっています。